大学紛争が盛んな時期に学生時代を迎えた私は、たまたま友達に誘われて広告研究会に参加しました。飲み会やコンパをやりながらも、真面目に研究して、電通賞も2年連続で取るようなクラブでした。
私自身、将来は広告代理店でコマーシャルを作りたいという夢を持っていました。実際、そういう所からも声がかかりましたし、自分はそこへ行こうと思っていましたが、ある日突然、父親から家業の会社を手伝ってくれないかといわれ、会社に入ることになりました。
家はもともと大手家電業界の特約代理店でしたが、半導体の進歩、発展を上手く利用できず、思うように数字が伸びませんでした。そんななか将来を考えた時に、新しい分野へ進まなければいけないと思いはじめ、色々考えた末「情報と通信」の人材を集め、ネットワーク機器を売りながら、ネットワークに関してのアドバイスやコンサルティングをしようと思い至りました。しかし、思った以上にお金がかかってしまい、キャッシュフローを良くする為に、もう1つの手段の「通信」として携帯電話の販売をはじめることにしたのです。
父親の反対を押し切り出店した、広島を中心とした22店舗の失敗を契機に、「それでもこの携帯電話の事業を何とかしたい」という思いもあり、コンテンツ配信をする事にしたのです。たまたま着メロが出はじめた頃で、この事業を成功させるには、「新しい会社を立ち上げて、このビジネスで特化していくしかない」と思い、起業する事にしました。
実際、会社を立ち上げてみるとうまく行かない事のほうが多く、苦難の連続でした。しかし、聴きたい時にダウンロードしてすぐ聴けたら、これは大変な文化、新しい文化になると思っていました。若い社員の将来を考えた時に、会社というのは発展し続けないといけない。だから、自分の世代で夢が叶わなくとも次の世代で実現できるように、世界で戦っていかなければならない、そう私自身考えているのです。









